2026年

5月

28日

衣替え

5月は当院含め永代経法要を勤修される群馬組内のお寺さんがあり、それぞれお陰様をもちまして無事円成いたしました。

私たち重恩寺では23日に、ご講師として茨城県より清心寺の増田廣樹師をお招きしての御法話に、引き続きの永代経法要でございました。

また、その2日前である21日には、築地本願寺にて宗祖親鸞人のお誕生日である降誕会法要があり参拝に伺いました。

 

昨今の地球温暖化の影響でしょう、既に30℃を超えるような日も珍しくありません。

それに伴って、我々僧侶が身に着ける法衣は衣替えをしています。

従来は衣の着用の規則で衣替えの時期というのが決まっており、夏物はもっと進んだ時期のものでありましたが、流石にそうも言ってられないためか緩和をされました。

この度の降誕会では、まだ夏物冬物どちらでも僧侶の着用が認められていました。

実際今月は、30℃を超える日もあれば20℃にも満たない日がありました。

本来規則が存在した中で、どうなるかわからない気候に応じての対応ができたというのは大変ありがたいことだと思います。

そういった余裕であり寛容さをもてるようにありたいと感じる月でした。

2026年

4月

30日

4月に入りだいぶ暖かい日が増え春めいてまいりました。

運動不足解消のため2月からジムに通い始めたのですが、その道中に桜並木があり満開になるのを寒い時期からずっと楽しみにしていました。

満開の頃に雨が続いたので、早めに散ってしまって少々残念でした。

親鸞聖人の詠まれた言葉で、「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」の詩は無常観やもののあはれを表すものとして有名かと思います。

 

少し話は逸れますが、桜の品種の一つソメイヨシノのおよその寿命が60年程度とラジオで聞いたことがありました。

聖人は桜の花びらそのものを人の命の儚さ尊さとして譬えていましたが、桜の木自体もまるで人そのもの見たいだなと思いもしました。

100年前後の中で花咲くように上手くいくこともあれば冬の寒々しさのようにしっくりこない日もそれぞれの姿はまるで人みたいです。

病で傷んだ部分を処理しても新たに枝が生えなおすこともありません。

重恩寺にも以前桜の木がありました。最後は枝も少なくなっていましたが、やはり春には少しでも綺麗な花を咲かせていました。

良い日も悪い日もそれぞれありのままで居られればいいのですが、それでもやはりどこかでずっと春だったらなあと思ってしまうそんな毎日です。

 

2026年

3月

31日

たられば

もう1年の4分の1が終わったと思うと恐ろしい今日この頃です。

 

お彼岸にお参りを頂いた皆様方、遠近各地よりありがとうございました。

中日の法要では、昨年の報恩講法要に引き続き橘俊了氏をご講師にお招きしての座でございました。

 

今月はWBCが開催されて多くの話題を呼んでいました。

残念ながら準々決勝で敗れてのベスト8という結果でしたが、期待値や注目度の高さ故に色んな意見を目にすることがあります。

「あの時打てていれば」「あの時失点を防げていれば」そんなたらればを言いたくなるのもとてもよくわかります。

ただし、野球でたらればは禁物だもよく話をします。そのシチュエーションだからこそ起きた展開の連続が野球というスポーツで、局所的に好転したとしてもその先も良い結果とは断定できないからです。

仏教由来の言葉で日常にも馴染んでいる言葉で因果というものあります。

文字通り原因がありそれにおうじた結果をむかえるという意味です。

野球もこの多くの因果の積み重ねです。一つの歯車が変わればそのあとの嚙み合い方も変化していきます。

そんなたらればを言ってもキリがないのに言ってしまうのは、それだけの想いがあるからこそなのかと思います。

 

私たちの日常にも後悔や執着がつきまとうものですが、そのことを重くとらえすぎずありのままの自分を見てくれる阿弥陀様という存在がいてくださることを拠り所としていただけたら幸いです。

手を合わせて仏様のありがたさを考えてみる私も、球場で負けている贔屓球団に溜息をつく私もどちらも確かに自分自身であると思うと改めて不思議に感じます。

今年は少しでも穏やかに野球を楽しみたいです。

2026年

2月

28日

迷い猫

暑さ寒さも彼岸までという言葉がありますが、今年の二2月は雪の日から20度超えの日まであり少ない日数ながらもどこか慌ただしいような感じすら覚えました。

 

 

私が幼い頃から、お寺には絶えず野良猫乃至地域猫がいます。

そのまま保護猫として飼われる猫もあれば、いつの間にか別の地域に去る猫もあり様々です。

ここ半年は私の記憶の中では最多の猫が寺に出入りをしています。猫の社会ではどんなやり取りがあってどんな縄張り意識が働いているのかは及びもつきませんが一旦寺に寄ることを選んでいます。

迷ったとき困ったときに誰にでも門戸を開くのが仏教でありお寺の在り方だと思っていますが、猫達の生き抜くための姿をみて、そして安心して寝ている姿をみて改めて感じることが出来ました。

 

 

 

猫アレルギー持ちですが、これからも偶に撫でさせて欲しいと思う今日この頃です。

2026年

1月

31日

遅→迅

2026年になり早くもひと月が過ぎようとしています、本年もよろしくお願いいたします。

寒さもまだまだ厳しい毎日ですが皆さまはいかがお過ごしでございましょうか。

もうそろそろブログの更新に慣れてきてもいい気もしますが、いまいちしっくりきていませんので、上達が今年の目標の一つになりそうです。

 

今年も毎月一日に催している朝のお参りをもって新年初めてのお参りをいただきました。

先にも話したように寒く暗いうちからお越しいただきありがとうございます。

月の最後の日に更新しながら言えたことではありませんが、毎月の初日の行事であります。是非お参りください。(今年もありましたが、新年初めの朝参りでは前年に参拝された方々に皆勤・精勤賞の贈呈もあります。)

 

24日には初法座がございました。

勤行に引き続き、藤岡市西蓮寺の艸香雄道師から御法話をいただきました。

初法座の後の新年会では、宿泊も含んだものとなりそれぞれ参加された方の都合によってはコロナぶりの形式で集まることが出来ました。

それぞれ参拝、参加下さった皆様ありがとうございました!!

コロナで大きく変わった生活様式ではありますが、平静では多くの皆様に集まって頂ける一年にしていければと思います。

2025年

12月

31日

2025年大晦日

2025年も本日で最後になりますので、駆け込みでの挨拶の更新となります。

この1年は皆さまにとってどのような年でありましたでしょうか。

筆者個人としては嬉しいことから悔しいことまで様々なことがありましたが、終わってみれば有難く穏やかな日々を過ごせている身でありました。

 

歳を重ねる度に1年が終わるのがあっという間に感じられ勿体ないと思う時もあります。

ですが、毎日の気持ちの浮き沈みを振り返るきっかけとしては、この1年の365日程度が丁度いいのかもしれないと思うようになりました。

来年も良いことに恵まれる日が1日でも多くあるように、また年の瀬に振り返った時に良かったと思える年にしたいですね。

 

本年も沢山にお世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします。

2025年

11月

30日

2025年報恩講を終えて

11月5,6日に当山でも報恩講を勤修しました。

沢山の御協力を頂きましたお蔭をもって無事に円成することができました。

誠に有難うございました。

ご講師には大阪圓光寺の橘 俊了師をお招きをしての三座法話を頂きました。

築地本願寺の職員さんとしても日頃よりお世話になっておりましたが、この度は関西出身の若手の布教師さんということで、中々聴聞する機会を取りにくい先生に来ていただいた次第です。

 

重恩寺での報恩講は勿論、「ありがとうのつどい」を謳う築地本願寺さんやご縁のあるお寺さんでの報恩講へのお参りを通してそれぞれのお寺ごとでの工夫であったりご門徒さんの献身を改めて感じることのできる有難い期間でありました。

今年もインフルエンザの流行がありますように、コロナ以降は特に感染症への対策や人の密集する機会での警戒がつきまとうものではありますが、より多くの方にご法縁に遇ってもらえる工夫を増やしていければと思います。

 

最低気温が0℃を下回る日も出てまいりました。

今年も残すところ一か月、穏やな日をお過ごしください。

2025年

10月

28日

松皮色衣

 

当山では来月5,6日に勤修する報恩講ですが群馬組内ではすでに行われたお寺もございます。 重恩寺での報恩講ではこれまで用いていませんが、群馬組での共通の衣を今年刷新いたしました。 群馬組で共通とあるように、栃木など他の地域からも出勤がある重恩寺では宗派で定めら れている衣を着用しています。

この場合必ずしも全員が同じ色の衣をまとうとは限りません。色とりどりの装束で集まる華やかさもありますが、統一感のある共通の装束も引き締まる 感じがあってどちらにも良さがあります。

 

この度の群馬組の衣は写真に示した通り赤系統の配色です。 松皮色という名前の赤ですが寡聞にして初めて聞く名前でした。松の皮のような濃い赤か らとられた表現ですが、このように一口に赤といっても様々な色味があります。 今文字を打ち込んでいる PC で「あか」と打ち込んで変換してみるだけでも、赤系統を表す 文字が5種類も出てくるほどです。

 

法衣や仏具の名前では、そうした普段馴染みのない色や模様の名前が残っていますので、また機会がありましたらご紹介したいと思います。

2025年

9月

21日

秋季彼岸

長く暑い夏でしたが、お彼岸になり漸く朝晩は過ごしやすくなってまいりました。

彼岸お中日の23日には、秋季彼岸会法要を午後2時よりお勤めいたします。合群信哉師のご法話もございますので、是非ともお参りいただきご聴聞ください。

 

さて、このたび、本堂外陣の焼香机が変わりました。曲線が美しい平安型の焼香机になりました。こちらは、小池茂さまよりご進納いただいたものです。心より深く感謝申し上げます。

2025年

8月

15日

戦後80年にあたっての平和を願うメッセージ

今日8月15日は終戦の日です。戦後80年にあたり、浄土真宗本願寺派総長による「戦後80年にあたっての平和を願うメッセージ」をご紹介します。

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「戦後80年にあたっての平和を願うメッセージ」

 本年は、戦後80年にあたります。まず、先の戦争において、亡くなられた世界のすべての方々に、心から哀悼の意を表しますとともに、また戦争で家族を失い、家を失い、さまざまな辛苦を受けられた方々の苦難はいかばかりであったかと拝察いたします。

 

 戦争は、いのちを奪い、命の尊厳を踏みにじることを国と国との間で集団的に行うという、人間の愚かさが最も惨たらしいかたちで現れる行為です。第二次世界大戦ではアジア・太平洋で、そして世界の各地で、当時の敵の味方も、戦闘員に限らず多くの市民が犠牲となられました。日本の地でも、沖縄は凄惨な地上戦を経験し、広島と長崎は原爆によって人もまちも破壊され、また東京や大阪などの都市をはじめ多くのまちも空襲に焼かれました。しかしながら、その戦争に協力し、戦争を賛美したことも、私たち教団のの歴史です。

 

「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と親鸞聖人がお示しになられたように、み教えに照らされて知らされてくる私たちのまことの姿は、状況次第でどのような悲惨な行いもしてしまう可能性を持つ、なんともあさましい姿です。だからこそ、悲惨な行いを導いてしまうような状況を決してつくりだしてはならないのです。

 

 戦後、私たち教団は全戦没者追悼法要をはじめ、さまざまに平和の実現へ取り組んでまいりました。一方で戦争を経験していない世代が人口のほとんどを占めるようになった今日、戦争がもたらした痛苦の記憶は遠いものとなりつつあります。当時の国や社会の状況を批判することなく、それが正しいことであるかのように取り違えてしまった私たちの歴史を省みて、「念仏のみぞまことにておはします」との親鸞聖人のお言葉をよりどころとして、慚愧の念をいだいて、過去を風化させてはなりません。

 

 私たちは、過去・現在・未来のすべてのいのちは、仏に願われ生かされていることに気づかせていただくのです。過ぎ去った方々を敬い、いまの私たちを大切にし、さらにこれから生まれるいのちに願いを伝えなくてはなりません。

 先人たちが語り伝えてくださった、戦争による辛く苦しい体験を無駄にせず、語り継いでいくことができるのが私たち教団であり、いまもなお、この瞬間さえも世界の各地で行われている戦争や紛争での人々の苦しみや悲しみに思いを寄せ、自らの生きざまに反映し、お念仏申して、次の世代に伝えていくことが、私たちの教団の大切な役割と考えます。

 

 過去を反省し、問い続け、私たちがいま何をなすことができるか、将来の世代に何を残していくかが大切でしょう。戦後80年にあたって、平和を願うメッセージといたします。

 

2025(令和7)年4月14日

浄土真宗本願寺派 総長 園成 義孝

2025年

7月

27日

先立たれた方は仏さま

一昨日、昨日と桐生は39℃超え。

本当に酷い暑さが続きます。皆さま、くれぐれも熱中症にお気を付けてお過ごしください。

 

月末が近づくと、来月の掲示板に何を書こうと悩みます。(拙い文字の掲示板ですみません(;'∀'))

朝ドラで話題となっている「あんぱんまん」の作者やなせみつるさんが、「しあわせなら手をたたこう」を作られたこともあり、「しあわせなら手を合わそう」も候補にあがりました。

しかし来月は、お盆を迎えることから、

「往きしひと みなこのわれにかえりきて なもあみだぶつと 称えさせます(詠み人知らず)」と書くことにしました。

浄土真宗のお盆は、先立たれた方を仏さまと仰ぎます。

皆さまが寺にお越しになり、本堂で、或は墓前で「南無阿弥陀仏」と称えるご縁をくださったのは亡き(往きし)人であり、同時に「南無阿弥陀仏」と私の口から仏となって出てきてくださっているのです。

来月も暑さが予想されますので、暑さ対策をこうじてお盆におご参拝いただきますよう念じ上げます。

*お盆期間中は、毎朝午前6時より朝参りをお勤めしております。

*16日は新盆合同法要を、午前11時と午後2時よりお勤め致します。

2025年

6月

21日

6月23日

梅雨の合間にしては、暑すぎる日が続いておりますね。

夏至の本日も酷暑。くれぐれも体調を崩さぬようお気を付けてお過ごしください。

 

さて、明後日6月23日は沖縄「慰霊の日」です。

ウクライナにおける戦争が終結しないどころか、中東やインドパキスタンも非常に危うい現在です。戦後80年を迎える日本で、平和への思いを一層強く持ちたいことです。

 

今月は、本願寺新報のインスタ倶楽部からお話をお借りしてご紹介致します。

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 1945(昭和20)年3月、太平洋戦争の末期。米軍が沖縄諸島に上陸し、激しい地上戦が始まりました。艦砲射撃や空襲による「鉄の暴風」は島々を容赦なく襲い、美しい沖縄は焼け野原となりました。この戦闘で20万人以上が命を落とし、その半数は一般の住民でした。県民の4人に1人が犠牲となる、痛ましく悲惨な戦争でした。

 6月23日、日本軍の司令官が自決し、組織的な戦闘は終結。戦後、沖縄県はこの日を「慰霊の日」と定め、戦没者を追悼し平和を願う行事を毎年行っています。

 戦後80年となり、戦争を語れる人は少なくなりましたが、命の尊さや平和の大切さ、戦争の愚かさは、忘れてはなりません。あの出来事を語り継ぎ、記憶を次の世代へつないでいくことが、私たちの責任です。

 沖縄には今も広大な米軍基地があるなど、さまざまな課題が残されています。

 私たち念仏者は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願われた親鸞聖人のお心に立ち返り、戦争の記憶を風化させず、過ちを繰り返さなぬよう努めましょう。平和を願う一人ひとりの思いと行動が、未来を変える力になります。 (本願寺派総合研究所 香川真二)

2025年

5月

27日

極楽は十万億土

お陰様で去る25日に永代経法要をお勤めすることが出来ました。

ご参拝をいただいた皆さま、お手伝いをいただいた役員の皆さま、誠にありがとうございました。

新型コロナウイルスのため、縮小してのお勤めが続いておりましたが、本年は群馬組内の多くのご住職さまにご参集いただきコロナ以前の形となりました。

お勤めは、継職法要以来初めてとなる太鼓を用いての阿弥陀経読経で、大変美しい響きとなりました。

「仏説阿弥陀経」というお経には、極楽浄土は私たちの世界から「十万億仏土」離れた世界にあると説かれています。これは、無数の仏さまの世界を越えた遥か彼方に極楽浄土が存在するということを意味しています。

この極楽浄土について、一休さんと本願寺8代目宗主の蓮如上人との間に興味深い逸話があります。

ある時、一休さんが蓮如上人に次の歌を送られます。

・極楽は十万億土と説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ

一休さんは、極楽浄土が遠い世界にあるとすれば、足腰の立たない人には行けませんね。阿弥陀さまとは何とも冷たい仏さまですねと皮肉を込めて詠まれます。

これに対し、蓮如上人は次の歌を返されます。

・極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば南無のひと声

蓮如上人は、極楽浄土は遠い世界にあるとありますが、実は「南無阿弥陀仏」という近道があるんですよと詠まれます。

 

お経に説かれる極楽浄土の遠さは、単に物理的な距離が遠いと言う意味ではありません。私たちは、仏さまのような智慧がないので、私たちの力では極楽浄土へ行くことは不可能な遠い存在であることを意味しているのです。

だからこそ「仏説観無量寿経」では「阿弥陀ここを去ること遠からず」と説かれるように、阿弥陀さまは遠くでじっと私たちのことをご覧になられているのではありません。阿弥陀さまは自ら立ち上がり、南無阿弥陀仏のみ声となって、この命に到り届いてくださいます。「あなたと共にお浄土への人生を歩んでいますよ」との南無阿弥陀仏のよび声にまかすとき、お浄土は遥か彼方にあるのではなく、今、ここに開かれている世界なのです。

2025年

4月

22日

花の4月

 桜は散りましたが、ハナミズキや藤、ツツジと次々に花が開く美しい季節となりました。ただ4月だと言うのに真夏日となる日もあり、皆さまにおかれましては、くれぐれもお体をご自愛ください。

今月は、久しぶりに本願寺新報のインスタ倶楽部からお話を以下に引用させていただきます。

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 桜が舞い散る4月は、新たな夢や希望を胸に新生活を始める季節です。しかし、夢や希望は人生を豊かにする反面、現実の厳しさに直面したとき、苦悩へと変わることもあります。

 仏教では「人生は苦なり」と説き、自分の思い通りにしたいという欲望こそが苦しみを生むと教えています。夢や希望もまた未来への欲望であり、苦悩とは常に表裏一体なのです。では欲望から離れられない私たちは、どのように人生を歩めばよいのでしょうか。

 お念仏をよろこばれたある先生は、亡くなる間際に連れ合いから「いままので人生、楽しかったね。ありがとう」と語りかけられた時、かすかな声で「いまも」と応えれらたそうです。まさにいのち終わらんとすると時にあっても「いま」をよろこぶ姿に深く心を打たれます。

 阿弥陀如来の救いとは、思い通りにならない人生のなかで、悩み苦しむ私たちをそのまま抱きとめて、さとりの世界に導いてくださるものです。

 新生活には悩みもあるでしょうが、お念仏とともに阿弥陀さまに支えられた「いま」に感謝しつつ、一日一日を大切に生きてまいりましょう。

本願寺派総合研究所 上級研究員 香川真二

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来る4月26日には、重恩寺役員総会が開催されます。役員の皆さまにはご多忙のところ大変お世話になります。何卒よろしくお願い致します。

 

2025年

3月

09日

春季彼岸会

大船渡の山林火災により被災された皆さまに衷心よりお見舞い申し上げます。

 

三寒四温を繰り返しながら春が近付いてまいりました。今年も新墓地にある河津桜の蕾が綻び始めました。

既にご案内を発送しております通り、今月は17日より春季彼岸を迎えます。

今月の掲示板は「縁が集まり花は咲く」

花はいきなり咲くわけではありません。

一粒の種がきれいに花咲くまでには、大地や水、日の光など、あらゆる条件や縁が整い初めて「花は咲く」のです。

私たちの命も花と同じです。

縁あって命を授かり、多くの命をいただきながら、無数の縁があって生かされて生きる命であります。また、大切な亡き人々のご縁があって、手を合わせお参りするご縁を頂いている私です。

20日には彼岸会法要を午後2時よりお勤めいたします。是非お誘い合ってお参りください。

2025年

1月

21日

初法座

去る18日、熊原博文師をお迎えして初法座が開かれました。お寒い時期に聴聞にお運びいただいた皆さまに感謝申し上げます。

初法座に引き続き、役員新年会がございましたので役員の皆さまが多く、それ以外の門信徒さんが少なかったのは少々寂しい気がいたしました。浄土真宗ではお聴聞がとても大切にしております。是非、次の機会には多くの門信徒の皆さまがお集まりいただければ幸いに存じます。

 

私の過去も未来も、よいところも悪いところも全部まるごとおさめ取ってくださる、決して私を見捨てない阿弥陀さま。

そのような阿弥陀さまのお話を聴かせていただくと心が落ち着いて安心します。

聴聞させていただいても、次の瞬間には、また日々の様々なことに愚痴をこぼしたり、とらわれの考えに疲弊したりする私ですが、だからこそお聴聞の機会を大切にしてまいりたいと思っております(*''▽'')

 

2025年

1月

02日

新年明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます

昨年は、永代経法要、報恩講法要とコロナ前に近い形式でお勤めできましたこと、多くの皆さまにご参拝を賜りましたこと、改めて衷心より厚く御礼申し上げます。

お念仏を大切に、またお念仏の輪を共に広げてゆく年となりますよう

今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

既にご案内の通り、18日午後2時より初法座がございます。

お誘い合わせて、是非ご聴聞ください。

 

インフルエンザが流行しております。くれぐれもご自愛くださいますよう念じ上げます。

2024年

11月

26日

あらゆる未来の花は今日の種の中にある

遅くなりましたが、11月5〜6日の報恩講法要にお参りをいただき有難うございました。役員、婦人会本部の皆さまにはご協力をいただき御礼申し上げます。

親鸞聖人のご命日をご縁として、様々なご恩にお礼を申し上げる報恩講法要が無事にお勤め出来ましたことに深く感謝申し上げます。

 

タイトルの「あらゆる未来の花は今日の種の中にある」は、インドのことわざです。

これが2021年11月の築地本願寺参拝カードに使用されました。

そこには次のような言葉が添えられておりましたのでご紹介いたします。

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秋になり花びらは散っていきます。一度花の形がなくなりますが、また次の年には種から芽が出て、新しい花を咲かせます。仏教にも「花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ」(金子大栄)という言葉があります。親鸞聖人をはじめ、仏さまの教えを喜んだ先人たちは、形はなくとも、残された私たちを仏さまの教えへと導いてくださいます。

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私たちがお念仏を申す姿、手を合わせる姿、お念仏を喜ぶ姿も次の世代へと繋がってゆくのだと思います。

2024年

10月

26日

来月は報恩講

既に、文書でご案内の通り、来月5〜6日で報恩講法要をお勤め致します。

コロナ期間中は、縮小した形式でお勤めしておりましたので、2日間お勤めするのは5年ぶりとなります。

浄土真宗にって、報恩講はもっとも大切な仏事です。親鸞聖人のご命日をご縁として、私たちを救ってくださる仏さま(阿弥陀如来)、そして親鸞聖人をはじめ先だっていかれた方々のお導きによって、この私が念仏のみ教えに出逢い、生きる依りどころをいただいているご恩にお礼を申しあげる法要です。

是非、皆さま、お誘い合ってお参りください。

 

今月も、本願寺新報(10月20日号)よりインスタ倶楽部のお話を以下にご紹介いたします。

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 石は水に沈む性質を持っています。ですが、小舟にでも載せられると沈むことなく、舟の着くところまで運ばれてゆきます。この時、石が水に浮く性質へと変わったわけではありません。石自体はそのままに、置かれている場所が舟の上となり、水に浮くように転ぜられたといえるでしょう。

 (中略)

 阿弥陀さまは、私たちに対して、煩悩を捨てよ、清らかな人格となって悟りをひらきなさい、とはおっしゃいません。本質的に清らかになり得ない私を見抜いたうえで、「南無阿弥陀仏」といういわば舟に乗せてそのまま救うとおっしゃいます。仏教の教えに出遇えたからといって、たちどころに理想的な自分自身に変身はできないでしょう。しかし、沈まぬ阿弥陀さまの舟に乗せられるというこは大いなる「転」です。そんなご恩を、少しずつ気づけるような日々といたしたく思います。

本願寺派総合研究所・副所長 高田未明

2024年

9月

24日

秋季彼岸

今年のお彼岸は、本堂の上がり口にも掲示板を置きました。

「わたしがねているときでも動いてくれる心ぞう」

詩人であり書家である相田みつをさんの言葉です。

私は私の心臓ひとつさえも思い通りには出来ません。夜中に、ふと心臓が止まってしまっても、自分ではどうすることも出来ません。

よくよく生かされているこの私だと言わざるを得ません。9月20日の本願寺新報には以下のように書かれておりました。

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 食べ物や住まい、人間関係、社会制度、いまこの私には、与えられ、為され、恵まれたことがたくさんあります。むしろ、私を成り立たせているのは、すべて私以外から恵まれたものだというべきでしょうか。

 そうすると当たり前と思っている日常の裏側には、見えにくくて意識しづらくとも、実は広大な「恩」が存在しているというべきでしょう。

 ところで、日本人の多くは「恩返し」の考え方が強くそなわっているといえます。それ自体は否定されるべきものではありませんが、場合によっては恩返しをしたからもう恩義を感じる必要はないと、たまっていたツケを支払ったかのような考え方に陥りかねません。しかし本来的には、恩とは決して返しきれるようなものではないはずです。そして阿弥陀さまのお救いも、私が返しきれるようなご恩ではありません。

 自分を支えてくれている家族のやさしさにふれ、この世で直接会えなくなったあのひとから受けたご恩を思い出します。仏さまの教えと出逢わせてくれたご恩でした。お彼岸の時期に恩ということをあらためて味わわせていただきます。  本願寺派総合研究所 副所長 高田未明

2024年

8月

15日

さるべき業縁のもよおせば

お盆前の11日、本堂内陣仏具のおみがきをしました。綺麗になった仏具で墓参のご門徒さんをお迎え出来て、誠に有難いことです。

ご協力をいただきました役員の皆さまに感謝申し上げます。

今日は終戦記念日です。日本では79年の間、戦争はありませんが、今も世界各地で争いが絶えません。それは哀しい現実であり、決して他人事でもありません。

 

歎異抄13章にある親鸞聖人と唯円房とのお話を思い出しました。現代訳は次の通りです。

「(略)また、あるとき聖人が「唯円房よ、あなたは私の言うことを信じ受け入れるか」とおおせられたので、「もちろんです」と申しあげた。そうしたところ、「それでは、私が言うことに背かないか」と、さらに重ねて念を押されたので、誓って背きませんと申しあげた。すると聖人は、「それではまず、ひとを千人殺してみなさい。そうすれば、浄土への往生は決定するであろう」とおおせなった。それに対して「聖人のおおせではありますけれど、たとえ、一人たりとも私のようなものには殺せそうも思えません」と答えたところ、聖人は「それではどうして私が言うことに背かないと言ったのですか」とおおせられて「これによって、わかるでしょう。すべてのことが、自分の思うままになるのであれば、浄土往生のために、ひとを千人殺せと言われたならば、ただちにそうできるはずである。しかし、一人たりとも殺してしまうような宿業の深い拝啓がないから、殺せないのである。私のこころが優しく善良であるから、殺さないのではない。また殺すまいと思っていても、百人はおろか千人殺してしまうこともあるのだ」とおおせになった。」

 

聖人のお言葉に「さるべ業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」に通じるお話です。

この点については、以下に、真宗大谷派三十別院のHPより、以下に引用すます。

 

 自分の頭で「こうしよう」「ああしよう」とどれだけ計画したところで、何かの原因と条件が揃った時には、自分の意思を超えて、人は何をするか分からない。

ある日、謂われもなくなく殺される日があるかも知れず、ある日、人は謂われもなく人を殺す日が来るかも知れない。

「自分だけはそんな目に遭うはずがない」だとか「自分だけはそんなことをするはずがない」と考えることは、「自分」が「自分」と約束しているだけの、根拠のないことなのでしょう。

私たちは、たまたま生まれ育った境遇や現在の生活や人間関係が犯罪を促すようなものではないので、今は重罪を犯すことが思いもよらないだけなのです。もし、考えもおよばないような情況に追いつめられたり、犯罪を引き起こすような条件が周りにそろってしまったならば、自分も何をしでかすか分からない。このような罪業性をもつ我が身のあり方は、正しく「いずれの行もおよびがたき身」でしょう。そして、このような私だからこそ、救わずにおれないという弥陀の大悲に、頭が下がるということがあるように思います。

2024年

7月

22日

澍法雨(じゅほうう)

梅雨明けした途端に連日の酷暑となりました。

新型コロナの第11派という報道もありますし、熱中症とあわせて、くれぐれもお気を付けてお過ごしください。

子どもの頃、夏の夕立は、さっと通り過ぎて気温を下げてくれるものでしたが、最近は酷い雷雨となります。近年は、梅雨の降り方も以前のそれとは変化してきたように感じられます。

降雨を機縁としたお話が、7月20日発行の本願寺新報にございましたので、ご紹介いたします。

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 仏教はインドのお釈迦さまの説法から始まっています。その内容はお釈迦さま個人のお考えというよりも、どのような時代のどのような人の上にも当てはまる法則が説き示されているというべきでしょう。

 身近では、種がまかれて(因)、水や気温などの諸条件(縁)がととのった末に、花開く(果)という因縁果の道理が当てはまります。その道理にわが身を引き当てて考えれば、自分自身も一人で存在することはできません。

 人々との関係や社会、地球環境、なにより多くの命を食べ物としていただいて生かされていることを知るに至ります。こうしてお釈迦さまの教えの内容はあらゆるものに区別なくあてはまります。

 経典には、仏さまの教えが「法雨」として説かれています。雨は降り落ちる先を選り好みしません。また「澍ぐ(そそぐ)」には、雨が降って万物をうるおすという意味があります。私たちは、いまこの瞬間もひとしく、法としての仏さまのはたらきをいただいています。

 雨降りの日は、あらためて仏さまの教えを聞く機縁とさせていただきます。

・・・・・・・・・・・・・本願寺派総合研究所 副所長 高田未明・・・・・・・・・・・・・・

2024年

6月

18日

今年も住職が世話をする蓮の花が咲くころになりました。

今月は、大谷本廟の月々のことば(2023.7月)をご紹介します。

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金子みすゞさんの作品に「蓮と鶏」という詩があります。

「泥の中から  蓮が咲く

 それをするのは  蓮じゃない

 卵の中から  鶏が出る

 それをするのは  鶏じゃない

 それに私が  気がついた

 それも私の  せいじゃない(出典 金子みすゞ「蓮と鶏」)」

 

あたりまえだと思っていることが、本当はあたりまえではなく、実はすごいことなんだと気づかせてくださる、素敵な詩です。

 

仏教では、私たちが「南無阿弥陀仏」のお念仏を称える姿を、泥の中から白い蓮の華が咲く様子に例えられます。泥のようにドロドロとした煩悩を抱える私たちに、手を合わせお念仏申すという仏道を歩む姿が生まれている。その姿をお釈迦さまはし白い蓮華の華「分陀利華」だと喜ばれたと説かれています。

 

しかし、それは金子みすゞさんが「それをするのは蓮じゃない」と言われたように、私たちが頑張って仏道を歩もうとした結果生まれたものではありません。そうせしめるような様々なご縁やはたらきがあって初めて私の手が合わさったのではないでしょうか。

 

そのはたらきに気づかせていただくのは、例えば先立って命終えて行かれた大切な方とのお別れかもしれません。もし大切な方との別れがなければ、煩悩に振り回される私は手を合わすことも、お念仏申す事も、仏教に出逢うこともなかったかもしれない。そして大切な方との別れに導かれ、阿弥陀如来の「すべての人を、命終えた時にわが国浄土に生まれさせ、仏にしたい。だからどうか私の名を呼んでほしい、南無阿弥陀仏と称えてほしい」という願いが私にはたらき、泥の中から蓮の華が咲くように、私の上に手を合わせ、お念仏を称える姿が育てられてきたのです。

 

仏さまの前や、お墓参りの時に当たり前のように手を合わせ念仏称える私ですが、それは決して当たり前のことではなく、多くのお育てがあって初めて生まれた尊い営みなんだと、泥の中から咲く蓮の華の姿に思わせていただきます。

2024年

5月

26日

永代経法要

昨日、永代経法要をお勤めいたしました。まだ5月だと言うのに暑い日でしたが、ご参拝をいただき、誠に有難うございました。

総代さま、役員の皆さまには、法要開始の一時間前からお集まりいただき、幕張りや仏旗掲揚ほか色々とお手伝いをいただきました。

勤行するのは法中(お坊さん)ですが、ひとつの法要行事は、門信徒の皆さまのお手伝い、ご参拝ご聴聞があって無事に終えることが出来ます。

心より感謝申し上げます。

2024年

4月

28日

親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要(築地本願寺)

昨日、築地本願寺でお勤めされた親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要に団体参拝をしてまいりました。当山からは38名のご参加を賜りました。

皆さまのご協力のもと、無事にお参り出来ましたこと感謝申し上げます。

前門さまのご法話、堂内に響いた読経、お念仏どれも感動的で有難いご縁でした。

2024年

4月

22日

お聴聞

桜に続き、ハナミズキやツツジ、藤と次々と花開く美しい季節になりました。

26〜29日において、築地本願寺にて親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年のご法要がお勤めされます。当山では27日に、お申し込みをいただいた皆さまと団体参拝をしてまいります。50年に一度しかないご法要に、ご門徒の皆さまとお参りできるご縁は大変ありがたいことです。

この度の慶讃法要でも、お勤めとご法話がございます。

当山においても永代経や報恩講など法要の際は、ご法話をいただいておりますが、裏方の私はなかなかゆっくり聴聞することが叶わず、27日は本当に楽しみにしております。

真宗においては「お聴聞」が大変大切なもののひとつとなります。

少し長くなりますが、仏教婦人会連盟冊子「めぐみ」より、お話を一部抜粋いたします。

 

「お聴聞」について・仏教婦人会総連盟講師 三宮亨信(めぐみ春号vol265)

 阿弥陀さまのお心をきかせていただくことを「お聴聞」と申します。

〜略〜

 親鸞聖人はこの「聴聞」というお言葉に「許されてきく・信じてきく」というご解釈をされています。つまり阿弥陀さまのお心を「この私のためと素直に聞き入れる」ということでしょう。

〜略〜

 浄土真宗はお聴聞をして阿弥陀さまのお救いをいただくのではありません。阿弥陀さまの確かなお救いが、もうすでに私たち一人一人に届けられてあった、ということを聞かせていただくのであります。

蓮如上人のお示しに

「ただ仏法は聴聞にきはまる」「仏法には世間のひまをかきてきくべし」「仏法には明日と申すことあるまじく候ふ」というお言葉があります。

 お聴聞はひまがあるから聞くのではなく、ひまを見つけて聞きなさい、ひまを作り出して聞きなさい。と、今聞くことの大切さを教えてくださっています。

「お聴聞」はいつでも聞けると思っている元気な時に、出来るだけ時間を作ってお寺にお参りをさせていただいて<許されて聞かせていただいている>というありがたさと喜びを味わいつつ、ご一緒にお育てにあずかってまいりたいと思います。

2024年

3月

31日

ご協力ありがとうございました

今日も日中は気温が上昇するようで、開花宣言の出たばかりの桜が一気に蕾を開きそうですね。

 

春季彼岸中には、能登半島地震義援金に多くのご協力を賜り、ありがとうございました。

合計108154円となりましたこと、ご報告させていただきます。

築地本願寺教務所を通じ、被災地支援とさせていただきます。

2024年

3月

10日

もうすぐ春季彼岸

裏庭の河津桜が美しく咲く頃となりました。来週には春季彼岸となります。

既にご案内の通り、3月20日(水)午後2時より春季彼岸会法要をお勤め致します。お誘い合って是非お参りください。(ぼたもち+お茶付)

お彼岸中の参拝記念は、御堂さん(小冊子)と輪島のスプーンを用意しております。玄関にお立ち寄りください。

例年はお菓子を用意しておりましたが、本年は被災地支援のためスプーンといたしました。元旦の地震による火災が、50m手前まで迫ったうるしやさんから取り寄せました。

本堂の賽銭箱は引き続き義援金箱とさせていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。

季節の変わり目、くれぐれもご自愛くださいますよう念じ上げます。

2024年

2月

18日

スリランカ大使館被災地支援報告

ご存知の方もいらっしゃるかと存じますが、義兄は現在駐日スリランカ大使の任におります。(つまり姉はスリランカ大使夫人となります)

元旦の地震の直後から、ペレーラ大使は被災地を実際に訪れての支援を模索しておりました。

そして、過日(11〜14日)、在日スリランカ人コミュニティーの大勢のメンバーと共に、スリランカ関連団体や支援者の協力を得て現地に赴き支援活動を行いました。

七尾市、志賀町、金沢市を訪問し、各地域の自治体の指導と調整のもと、スリランカ料理やスープの炊き出しの他、お茶や救援物資を提供されました。一日の炊き出し量は400名分であったと聞いております。

浄土真宗のご縁で、被災された能登島の寺院、金沢別院においても支援活動が行われました。

ペレーラ大使の被災地に深く寄り添う気持ちと行動力は誠に尊いことと感じました。

当山での義捐金募金活動も引き続き、来月の春彼岸まで行ってまいります。寄せられた義援金は、浄土真宗本願寺派たすけあい運動募金「令和6年能登半島地震災害義援金」へ送金いたします。温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。

 

2024年

1月

21日

初法座

昨日、初法座に引き続き役員新年会を催しました。曇天から時折雨に見舞われる中ご参拝をいただき有難うございました。

初法座では熊原先生から、金子みすゞさんや浅原才市さんの歌の紹介を交えた大変分かりやすいご法話をいただきました。

 

真宗の「食前のことば、食後のことば」にも触れられました。

「食前のことば」多くのいのちとみなさまのおかげにより、このご馳走をめぐまれました。

深くご恩を喜びありがたくいただきます。

「食後のことば」尊いおめぐみをおいしくいただき、ますますご恩報謝につとめます。

おかげでごちそうさまでした。

 

食前、食後のことばにこめられた、多くのいのちへの慚愧と感謝。

私たちの日々の食事が、多くの動植物のいのちの犠牲の上でしか成立しない、どうしても自己中心から離れられないことへの慚愧。

私たちは、毎日誰かの大変な思いと多くのいのちを犠牲にして用意していただいたものを頂いて生かされていることへの感謝。

今の自分が支えられている「おかげさま」を、身近な食前食後のことばを通して、今年も味わってゆきたいものです。南無阿弥陀仏

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浄土真宗本願寺派 重恩寺 ~群馬県 桐生市~

世の中 安穏なれ
世の中 安穏なれ

群馬県桐生市にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

 

毎月1日朝6時より朝詣りをお勤めしております。

また毎月第2月曜日は、午後1時30分より仏教讃歌のコーラス(現在は婦人部のみ)活動をしております。

 

宗門のみ教え、作法、お墓のご相談などお気軽にお問い合わせください。

お墓については、平成25年合祀墓「安楽廟」も完成しております。