2025年
4月
22日
火
桜は散りましたが、ハナミズキや藤、ツツジと次々に花が開く美しい季節となりました。ただ4月だと言うのに真夏日となる日もあり、皆さまにおかれましては、くれぐれもお体をご自愛ください。
今月は、久しぶりに本願寺新報のインスタ倶楽部からお話を以下に引用させていただきます。
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桜が舞い散る4月は、新たな夢や希望を胸に新生活を始める季節です。しかし、夢や希望は人生を豊かにする反面、現実の厳しさに直面したとき、苦悩へと変わることもあります。
仏教では「人生は苦なり」と説き、自分の思い通りにしたいという欲望こそが苦しみを生むと教えています。夢や希望もまた未来への欲望であり、苦悩とは常に表裏一体なのです。では欲望から離れられない私たちは、どのように人生を歩めばよいのでしょうか。
お念仏をよろこばれたある先生は、亡くなる間際に連れ合いから「いままので人生、楽しかったね。ありがとう」と語りかけられた時、かすかな声で「いまも」と応えれらたそうです。まさにいのち終わらんとすると時にあっても「いま」をよろこぶ姿に深く心を打たれます。
阿弥陀如来の救いとは、思い通りにならない人生のなかで、悩み苦しむ私たちをそのまま抱きとめて、さとりの世界に導いてくださるものです。
新生活には悩みもあるでしょうが、お念仏とともに阿弥陀さまに支えられた「いま」に感謝しつつ、一日一日を大切に生きてまいりましょう。
本願寺派総合研究所 上級研究員 香川真二
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来る4月26日には、重恩寺役員総会が開催されます。役員の皆さまにはご多忙のところ大変お世話になります。何卒よろしくお願い致します。
2025年
3月
09日
日
大船渡の山林火災により被災された皆さまに衷心よりお見舞い申し上げます。
三寒四温を繰り返しながら春が近付いてまいりました。今年も新墓地にある河津桜の蕾が綻び始めました。
既にご案内を発送しております通り、今月は17日より春季彼岸を迎えます。
今月の掲示板は「縁が集まり花は咲く」
花はいきなり咲くわけではありません。
一粒の種がきれいに花咲くまでには、大地や水、日の光など、あらゆる条件や縁が整い初めて「花は咲く」のです。
私たちの命も花と同じです。
縁あって命を授かり、多くの命をいただきながら、無数の縁があって生かされて生きる命であります。また、大切な亡き人々のご縁があって、手を合わせお参りするご縁を頂いている私です。
20日には彼岸会法要を午後2時よりお勤めいたします。是非お誘い合ってお参りください。
2025年
1月
21日
火
去る18日、熊原博文師をお迎えして初法座が開かれました。お寒い時期に聴聞にお運びいただいた皆さまに感謝申し上げます。
初法座に引き続き、役員新年会がございましたので役員の皆さまが多く、それ以外の門信徒さんが少なかったのは少々寂しい気がいたしました。浄土真宗ではお聴聞がとても大切にしております。是非、次の機会には多くの門信徒の皆さまがお集まりいただければ幸いに存じます。
私の過去も未来も、よいところも悪いところも全部まるごとおさめ取ってくださる、決して私を見捨てない阿弥陀さま。
そのような阿弥陀さまのお話を聴かせていただくと心が落ち着いて安心します。
聴聞させていただいても、次の瞬間には、また日々の様々なことに愚痴をこぼしたり、とらわれの考えに疲弊したりする私ですが、だからこそお聴聞の機会を大切にしてまいりたいと思っております(*''▽'')
2025年
1月
02日
木
新年明けましておめでとうございます
昨年は、永代経法要、報恩講法要とコロナ前に近い形式でお勤めできましたこと、多くの皆さまにご参拝を賜りましたこと、改めて衷心より厚く御礼申し上げます。
お念仏を大切に、またお念仏の輪を共に広げてゆく年となりますよう
今年も何卒よろしくお願い申し上げます。
既にご案内の通り、18日午後2時より初法座がございます。
お誘い合わせて、是非ご聴聞ください。
インフルエンザが流行しております。くれぐれもご自愛くださいますよう念じ上げます。
2024年
11月
26日
火
遅くなりましたが、11月5〜6日の報恩講法要にお参りをいただき有難うございました。役員、婦人会本部の皆さまにはご協力をいただき御礼申し上げます。
親鸞聖人のご命日をご縁として、様々なご恩にお礼を申し上げる報恩講法要が無事にお勤め出来ましたことに深く感謝申し上げます。
タイトルの「あらゆる未来の花は今日の種の中にある」は、インドのことわざです。
これが2021年11月の築地本願寺参拝カードに使用されました。
そこには次のような言葉が添えられておりましたのでご紹介いたします。
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秋になり花びらは散っていきます。一度花の形がなくなりますが、また次の年には種から芽が出て、新しい花を咲かせます。仏教にも「花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ」(金子大栄)という言葉があります。親鸞聖人をはじめ、仏さまの教えを喜んだ先人たちは、形はなくとも、残された私たちを仏さまの教えへと導いてくださいます。
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私たちがお念仏を申す姿、手を合わせる姿、お念仏を喜ぶ姿も次の世代へと繋がってゆくのだと思います。
2024年
10月
26日
土
既に、文書でご案内の通り、来月5〜6日で報恩講法要をお勤め致します。
コロナ期間中は、縮小した形式でお勤めしておりましたので、2日間お勤めするのは5年ぶりとなります。
浄土真宗にって、報恩講はもっとも大切な仏事です。親鸞聖人のご命日をご縁として、私たちを救ってくださる仏さま(阿弥陀如来)、そして親鸞聖人をはじめ先だっていかれた方々のお導きによって、この私が念仏のみ教えに出逢い、生きる依りどころをいただいているご恩にお礼を申しあげる法要です。
是非、皆さま、お誘い合ってお参りください。
今月も、本願寺新報(10月20日号)よりインスタ倶楽部のお話を以下にご紹介いたします。
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石は水に沈む性質を持っています。ですが、小舟にでも載せられると沈むことなく、舟の着くところまで運ばれてゆきます。この時、石が水に浮く性質へと変わったわけではありません。石自体はそのままに、置かれている場所が舟の上となり、水に浮くように転ぜられたといえるでしょう。
(中略)
阿弥陀さまは、私たちに対して、煩悩を捨てよ、清らかな人格となって悟りをひらきなさい、とはおっしゃいません。本質的に清らかになり得ない私を見抜いたうえで、「南無阿弥陀仏」といういわば舟に乗せてそのまま救うとおっしゃいます。仏教の教えに出遇えたからといって、たちどころに理想的な自分自身に変身はできないでしょう。しかし、沈まぬ阿弥陀さまの舟に乗せられるというこは大いなる「転」です。そんなご恩を、少しずつ気づけるような日々といたしたく思います。
本願寺派総合研究所・副所長 高田未明
2024年
9月
24日
火
今年のお彼岸は、本堂の上がり口にも掲示板を置きました。
「わたしがねているときでも動いてくれる心ぞう」
詩人であり書家である相田みつをさんの言葉です。
私は私の心臓ひとつさえも思い通りには出来ません。夜中に、ふと心臓が止まってしまっても、自分ではどうすることも出来ません。
よくよく生かされているこの私だと言わざるを得ません。9月20日の本願寺新報には以下のように書かれておりました。
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食べ物や住まい、人間関係、社会制度、いまこの私には、与えられ、為され、恵まれたことがたくさんあります。むしろ、私を成り立たせているのは、すべて私以外から恵まれたものだというべきでしょうか。
そうすると当たり前と思っている日常の裏側には、見えにくくて意識しづらくとも、実は広大な「恩」が存在しているというべきでしょう。
ところで、日本人の多くは「恩返し」の考え方が強くそなわっているといえます。それ自体は否定されるべきものではありませんが、場合によっては恩返しをしたからもう恩義を感じる必要はないと、たまっていたツケを支払ったかのような考え方に陥りかねません。しかし本来的には、恩とは決して返しきれるようなものではないはずです。そして阿弥陀さまのお救いも、私が返しきれるようなご恩ではありません。
自分を支えてくれている家族のやさしさにふれ、この世で直接会えなくなったあのひとから受けたご恩を思い出します。仏さまの教えと出逢わせてくれたご恩でした。お彼岸の時期に恩ということをあらためて味わわせていただきます。 本願寺派総合研究所 副所長 高田未明
2024年
8月
15日
木
お盆前の11日、本堂内陣仏具のおみがきをしました。綺麗になった仏具で墓参のご門徒さんをお迎え出来て、誠に有難いことです。
ご協力をいただきました役員の皆さまに感謝申し上げます。
今日は終戦記念日です。日本では79年の間、戦争はありませんが、今も世界各地で争いが絶えません。それは哀しい現実であり、決して他人事でもありません。
歎異抄13章にある親鸞聖人と唯円房とのお話を思い出しました。現代訳は次の通りです。
「(略)また、あるとき聖人が「唯円房よ、あなたは私の言うことを信じ受け入れるか」とおおせられたので、「もちろんです」と申しあげた。そうしたところ、「それでは、私が言うことに背かないか」と、さらに重ねて念を押されたので、誓って背きませんと申しあげた。すると聖人は、「それではまず、ひとを千人殺してみなさい。そうすれば、浄土への往生は決定するであろう」とおおせなった。それに対して「聖人のおおせではありますけれど、たとえ、一人たりとも私のようなものには殺せそうも思えません」と答えたところ、聖人は「それではどうして私が言うことに背かないと言ったのですか」とおおせられて「これによって、わかるでしょう。すべてのことが、自分の思うままになるのであれば、浄土往生のために、ひとを千人殺せと言われたならば、ただちにそうできるはずである。しかし、一人たりとも殺してしまうような宿業の深い拝啓がないから、殺せないのである。私のこころが優しく善良であるから、殺さないのではない。また殺すまいと思っていても、百人はおろか千人殺してしまうこともあるのだ」とおおせになった。」
聖人のお言葉に「さるべ業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」に通じるお話です。
この点については、以下に、真宗大谷派三十別院のHPより、以下に引用すます。
自分の頭で「こうしよう」「ああしよう」とどれだけ計画したところで、何かの原因と条件が揃った時には、自分の意思を超えて、人は何をするか分からない。
ある日、謂われもなくなく殺される日があるかも知れず、ある日、人は謂われもなく人を殺す日が来るかも知れない。
「自分だけはそんな目に遭うはずがない」だとか「自分だけはそんなことをするはずがない」と考えることは、「自分」が「自分」と約束しているだけの、根拠のないことなのでしょう。
私たちは、たまたま生まれ育った境遇や現在の生活や人間関係が犯罪を促すようなものではないので、今は重罪を犯すことが思いもよらないだけなのです。もし、考えもおよばないような情況に追いつめられたり、犯罪を引き起こすような条件が周りにそろってしまったならば、自分も何をしでかすか分からない。このような罪業性をもつ我が身のあり方は、正しく「いずれの行もおよびがたき身」でしょう。そして、このような私だからこそ、救わずにおれないという弥陀の大悲に、頭が下がるということがあるように思います。
2024年
7月
22日
月
梅雨明けした途端に連日の酷暑となりました。
新型コロナの第11派という報道もありますし、熱中症とあわせて、くれぐれもお気を付けてお過ごしください。
子どもの頃、夏の夕立は、さっと通り過ぎて気温を下げてくれるものでしたが、最近は酷い雷雨となります。近年は、梅雨の降り方も以前のそれとは変化してきたように感じられます。
降雨を機縁としたお話が、7月20日発行の本願寺新報にございましたので、ご紹介いたします。
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仏教はインドのお釈迦さまの説法から始まっています。その内容はお釈迦さま個人のお考えというよりも、どのような時代のどのような人の上にも当てはまる法則が説き示されているというべきでしょう。
身近では、種がまかれて(因)、水や気温などの諸条件(縁)がととのった末に、花開く(果)という因縁果の道理が当てはまります。その道理にわが身を引き当てて考えれば、自分自身も一人で存在することはできません。
人々との関係や社会、地球環境、なにより多くの命を食べ物としていただいて生かされていることを知るに至ります。こうしてお釈迦さまの教えの内容はあらゆるものに区別なくあてはまります。
経典には、仏さまの教えが「法雨」として説かれています。雨は降り落ちる先を選り好みしません。また「澍ぐ(そそぐ)」には、雨が降って万物をうるおすという意味があります。私たちは、いまこの瞬間もひとしく、法としての仏さまのはたらきをいただいています。
雨降りの日は、あらためて仏さまの教えを聞く機縁とさせていただきます。
・・・・・・・・・・・・・本願寺派総合研究所 副所長 高田未明・・・・・・・・・・・・・・
2024年
6月
18日
火
今年も住職が世話をする蓮の花が咲くころになりました。
今月は、大谷本廟の月々のことば(2023.7月)をご紹介します。
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金子みすゞさんの作品に「蓮と鶏」という詩があります。
「泥の中から 蓮が咲く
それをするのは 蓮じゃない
卵の中から 鶏が出る
それをするのは 鶏じゃない
それに私が 気がついた
それも私の せいじゃない(出典 金子みすゞ「蓮と鶏」)」
あたりまえだと思っていることが、本当はあたりまえではなく、実はすごいことなんだと気づかせてくださる、素敵な詩です。
仏教では、私たちが「南無阿弥陀仏」のお念仏を称える姿を、泥の中から白い蓮の華が咲く様子に例えられます。泥のようにドロドロとした煩悩を抱える私たちに、手を合わせお念仏申すという仏道を歩む姿が生まれている。その姿をお釈迦さまはし白い蓮華の華「分陀利華」だと喜ばれたと説かれています。
しかし、それは金子みすゞさんが「それをするのは蓮じゃない」と言われたように、私たちが頑張って仏道を歩もうとした結果生まれたものではありません。そうせしめるような様々なご縁やはたらきがあって初めて私の手が合わさったのではないでしょうか。
そのはたらきに気づかせていただくのは、例えば先立って命終えて行かれた大切な方とのお別れかもしれません。もし大切な方との別れがなければ、煩悩に振り回される私は手を合わすことも、お念仏申す事も、仏教に出逢うこともなかったかもしれない。そして大切な方との別れに導かれ、阿弥陀如来の「すべての人を、命終えた時にわが国浄土に生まれさせ、仏にしたい。だからどうか私の名を呼んでほしい、南無阿弥陀仏と称えてほしい」という願いが私にはたらき、泥の中から蓮の華が咲くように、私の上に手を合わせ、お念仏を称える姿が育てられてきたのです。
仏さまの前や、お墓参りの時に当たり前のように手を合わせ念仏称える私ですが、それは決して当たり前のことではなく、多くのお育てがあって初めて生まれた尊い営みなんだと、泥の中から咲く蓮の華の姿に思わせていただきます。
2024年
5月
26日
日
昨日、永代経法要をお勤めいたしました。まだ5月だと言うのに暑い日でしたが、ご参拝をいただき、誠に有難うございました。
総代さま、役員の皆さまには、法要開始の一時間前からお集まりいただき、幕張りや仏旗掲揚ほか色々とお手伝いをいただきました。
勤行するのは法中(お坊さん)ですが、ひとつの法要行事は、門信徒の皆さまのお手伝い、ご参拝ご聴聞があって無事に終えることが出来ます。
心より感謝申し上げます。
2024年
4月
28日
日
昨日、築地本願寺でお勤めされた親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要に団体参拝をしてまいりました。当山からは38名のご参加を賜りました。
皆さまのご協力のもと、無事にお参り出来ましたこと感謝申し上げます。
前門さまのご法話、堂内に響いた読経、お念仏どれも感動的で有難いご縁でした。
2024年
4月
22日
月
桜に続き、ハナミズキやツツジ、藤と次々と花開く美しい季節になりました。
26〜29日において、築地本願寺にて親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年のご法要がお勤めされます。当山では27日に、お申し込みをいただいた皆さまと団体参拝をしてまいります。50年に一度しかないご法要に、ご門徒の皆さまとお参りできるご縁は大変ありがたいことです。
この度の慶讃法要でも、お勤めとご法話がございます。
当山においても永代経や報恩講など法要の際は、ご法話をいただいておりますが、裏方の私はなかなかゆっくり聴聞することが叶わず、27日は本当に楽しみにしております。
真宗においては「お聴聞」が大変大切なもののひとつとなります。
少し長くなりますが、仏教婦人会連盟冊子「めぐみ」より、お話を一部抜粋いたします。
「お聴聞」について・仏教婦人会総連盟講師 三宮亨信(めぐみ春号vol265)
阿弥陀さまのお心をきかせていただくことを「お聴聞」と申します。
〜略〜
親鸞聖人はこの「聴聞」というお言葉に「許されてきく・信じてきく」というご解釈をされています。つまり阿弥陀さまのお心を「この私のためと素直に聞き入れる」ということでしょう。
〜略〜
浄土真宗はお聴聞をして阿弥陀さまのお救いをいただくのではありません。阿弥陀さまの確かなお救いが、もうすでに私たち一人一人に届けられてあった、ということを聞かせていただくのであります。
蓮如上人のお示しに
「ただ仏法は聴聞にきはまる」「仏法には世間のひまをかきてきくべし」「仏法には明日と申すことあるまじく候ふ」というお言葉があります。
お聴聞はひまがあるから聞くのではなく、ひまを見つけて聞きなさい、ひまを作り出して聞きなさい。と、今聞くことの大切さを教えてくださっています。
「お聴聞」はいつでも聞けると思っている元気な時に、出来るだけ時間を作ってお寺にお参りをさせていただいて<許されて聞かせていただいている>というありがたさと喜びを味わいつつ、ご一緒にお育てにあずかってまいりたいと思います。
2024年
3月
31日
日
今日も日中は気温が上昇するようで、開花宣言の出たばかりの桜が一気に蕾を開きそうですね。
春季彼岸中には、能登半島地震義援金に多くのご協力を賜り、ありがとうございました。
合計108154円となりましたこと、ご報告させていただきます。
築地本願寺教務所を通じ、被災地支援とさせていただきます。
2024年
3月
10日
日
裏庭の河津桜が美しく咲く頃となりました。来週には春季彼岸となります。
既にご案内の通り、3月20日(水)午後2時より春季彼岸会法要をお勤め致します。お誘い合って是非お参りください。(ぼたもち+お茶付)
お彼岸中の参拝記念は、御堂さん(小冊子)と輪島のスプーンを用意しております。玄関にお立ち寄りください。
例年はお菓子を用意しておりましたが、本年は被災地支援のためスプーンといたしました。元旦の地震による火災が、50m手前まで迫ったうるしやさんから取り寄せました。
本堂の賽銭箱は引き続き義援金箱とさせていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。
季節の変わり目、くれぐれもご自愛くださいますよう念じ上げます。
2024年
2月
18日
日
ご存知の方もいらっしゃるかと存じますが、義兄は現在駐日スリランカ大使の任におります。(つまり姉はスリランカ大使夫人となります)
元旦の地震の直後から、ペレーラ大使は被災地を実際に訪れての支援を模索しておりました。
そして、過日(11〜14日)、在日スリランカ人コミュニティーの大勢のメンバーと共に、スリランカ関連団体や支援者の協力を得て現地に赴き支援活動を行いました。
七尾市、志賀町、金沢市を訪問し、各地域の自治体の指導と調整のもと、スリランカ料理やスープの炊き出しの他、お茶や救援物資を提供されました。一日の炊き出し量は400名分であったと聞いております。
浄土真宗のご縁で、被災された能登島の寺院、金沢別院においても支援活動が行われました。
ペレーラ大使の被災地に深く寄り添う気持ちと行動力は誠に尊いことと感じました。
当山での義捐金募金活動も引き続き、来月の春彼岸まで行ってまいります。寄せられた義援金は、浄土真宗本願寺派たすけあい運動募金「令和6年能登半島地震災害義援金」へ送金いたします。温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。
2024年
1月
21日
日
昨日、初法座に引き続き役員新年会を催しました。曇天から時折雨に見舞われる中ご参拝をいただき有難うございました。
初法座では熊原先生から、金子みすゞさんや浅原才市さんの歌の紹介を交えた大変分かりやすいご法話をいただきました。
真宗の「食前のことば、食後のことば」にも触れられました。
「食前のことば」多くのいのちとみなさまのおかげにより、このご馳走をめぐまれました。
深くご恩を喜びありがたくいただきます。
「食後のことば」尊いおめぐみをおいしくいただき、ますますご恩報謝につとめます。
おかげでごちそうさまでした。
食前、食後のことばにこめられた、多くのいのちへの慚愧と感謝。
私たちの日々の食事が、多くの動植物のいのちの犠牲の上でしか成立しない、どうしても自己中心から離れられないことへの慚愧。
私たちは、毎日誰かの大変な思いと多くのいのちを犠牲にして用意していただいたものを頂いて生かされていることへの感謝。
今の自分が支えられている「おかげさま」を、身近な食前食後のことばを通して、今年も味わってゆきたいものです。南無阿弥陀仏
2024年
1月
02日
火
新年明けまして おめでとうございます
本年も何卒よろしくお願い致します
穏やかな年となるよう念じた2024元旦早々、石川県能登半島地方を震源とする地震が発生しました。被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
被災された方がたへの支援の一環として本堂賽銭を義捐金とさせていただき、募金活動を行ってまいります。
2023年
12月
24日
日
ここ数日、寒い日が続いています。
この冬も本堂掃除の際に、手がかじかむ頃となりました。
今日も法事をお勤めしておりますが、世の中的にはクリスマスイブで賑わっています。
その昔、「うちではクリスマスをしない」と言うと、友人に驚かれたものでした。日本においては、年中行事と化していますから、そのような反応になったのでしょう。
日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900年(明治33年)。明治屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったとのことです。想像していたより昔から大切な家族や人と過ごす日がクリスマスと位置付けられていたのですね。
勿論、キリスト教を信仰されている方々にとっては、キリストの降誕をお祝いする重要な日の一つであることでしょう。
翻って考えてみると、お釈迦さまや親鸞聖人の御誕生をお祝いする法要があるものの、どうもクリスマスのような華やかさ、賑やかさ(或は経済効果)とは異なります。
仏教といえば、お葬式や法事など、なんとなく「死」をイメージされる方が、一般には多いかも知れません。しかし、本来仏教は生きている私たちのための教えです。仏さまの教えは決して「死ぬための準備」ではなく、この私が「生きていく糧」となるものです。
年があらたまり、1月20日には初法座(法話会)を予定しております。(講師:熊原博文師)
是非、仏さまの教えをご聴聞ください。
一年間、寺の護持発展にご理解とご協力を賜り、ありがとうございました。
今年も、おかげさまの一年でした。
どうぞ良いお年をお迎えください。
2023年
11月
20日
月
本年度、当山報恩講法要は、去る5日に無事にお勤めすることが出来ました。ご協力をいただいた役員、婦人会の皆さま、ご参拝をいただいた皆さまに篤く御礼を申し上げます。コロナ禍以来、取りやめていた多くのご法中をお招きしてのお勤めとお斎を再開し、久しぶりに賑やかな法要となりました。昨年帰国した姉、現在東京在住である娘と息子も揃い、我が家も三世代勢ぞろいでお参り出来たことは大きな喜びとなりました。
滅多にないことは、特別な感じが増すものです。
少し前のことになりすが、前住職(父)と二人連れで谷川岳に行ってきました。
このところ足の悪くなった父に、車内から紅葉が眺められれば良いだろうと向かったのですが、到着したら「ロープウェイに乗る」と言いだして・・・
ロープウェイが足の不自由な人にも優しいフラットな作りであったことも幸いし、手を添えながら、なんとか頂上まで行くことが出来ました。
頂上から二人で美しい景色を眺めながら、「あぁ、父とこの景色を眺めるのは、きっとこれが最後だな」と思ったことでした。
しかし、ふと、以前、築地本願寺の掲示板に「米寿もニ十歳も一度だけ 人生初事ばかりなり」とあったのを思い出しました。旅行や記念日、特別なことがあるなしに関わらず、この今、この瞬間は一度だけ。一度だけであるなら、実は毎日が、今が、いつだって最後で特別。その滅多にない特別をきちんと味わい、大切に、感謝の日々を送ってまいりたいと思いました。
2023年
10月
28日
土
朝から轟いた雷が漸く去り、空が明るくなってきました。
各地で様々なイベントが開かれるこの時期、安定した天候、気持ちよい秋晴れに恵まれると良いですね。
さて、来月25日に、私の姉であるペレラ雅子の講演会が桐生市文化会館で開催されます。
ご興味のある方がいらっしゃいましたら、聴講いただけると幸いに存じます。
2023年
10月
17日
火
長く暑い夏が過ぎ、ようやく秋めいてきました。
秋季彼岸中に募った義捐金は、お陰様で77525円となり、過日、築地本願寺に収めてまいりました。皆さまのご協力に篤く御礼申し上げます。
今日は清々しい秋晴れですが、朝晩と日中の気温の寒暖差がありますし、インフルエンザが早い流行となっておりますので、お気を付けてお過ごしください。
既にご案内を発送させていただきました通り、来月5日は報恩講法要をお勤めいたします。
コロナ禍中は取りやめていたお斎(昼食)が今年はございます。
「また会えましたね」とお話するのは楽しいものです。
お斎の時間が、ご門徒さん同士の和やかな歓談の時になりますと幸いです。
是非、お誘い合ってお参りください。
「また会える」について、伝道資料センターのリーフレットにこんなことが書かれておりました。
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「また会える」
この言葉にどれほど多くの方が救われてきたことでしょうか。
会者定離。出会った者は定めて離れていかなければなりません。
しかし、それが永遠の別れで終わらずにまた会える世界がある。
この浄土の教えに多くの方が手を合わされました。
このことは単に未来での再会を説いたものではありません。
浄土を思い手を合わせるところに、既に故人との再会は果たされています。
むしろ私が手を合わせることも、口に「南無阿弥陀仏」と称えることも浄土に生まれられた故人の導きによるものです。
先立たれたいのちは、決して遠い世界で待っておられるのではなく、今ここにご一緒くださっているのです。
2023年
9月
20日
水
暑さ寒さも彼岸まで。
気象庁によると、桐生市の今年の猛暑日は46日。(9月20日現在)
1994年に大分県日田市が記録した45日を上回り、国内の観測史上で最多となったそうです。
お彼岸を迎え、厳しい残暑が落ち着いてくれると良いですね。
9月23日午後2時より、秋季彼岸会法要をお勤めいたします。お誘い合ってご参拝ご聴聞ください。また彼岸中のお賽銭箱は、ハワイ・マウイ島大規模火災災害義援金箱とさせていただきました。
ご協力いただければ有難く存じます。
【仏教マメ知識 ろうそくの火はなぜ点じるの?】
仏教でろうそくの火は、仏さまの智慧と慈悲のお心をあらわします。ろうそくの火には二つの面があります。一つは光です。心の奥底までも知り尽くし、濁った迷いの闇を隈なく照らして真実に向かわしめるはたらき(智慧の光明)です。もう一面は、熱です。熱が氷を解かすように、大いなる慈悲の温もりが私の固く閉ざされた心を和らげてくださいます。
2023年
8月
14日
月
今年もお盆を迎え、入りの昨日は早朝よりお参りをいただきました。酷暑に加え、この先は台風の影響もあるようです。。どうぞお気をつけくださいませ。
さて、「季刊せいてん」123号の内容を平易な文章に改編したお盆のお話が本山HPに載っておりました。今月は、それをご紹介させていただきます。
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お盆の由来と浄土真宗のお盆
お盆と言えば、八月十五日、また一部地域では七月十五日を節目に行われています。まず、このお盆の由来からうかがってみましょう。
お盆の原点である経典「仏説盂蘭盆経」には「七月十五日」という日付が示されています。これは仏教教団で古くから行われてきた雨安居の最終日にあたり、「盂蘭盆経」では、この時に修行者の集団だが食物等を供養すれば、その善い行いにより、生存している父母から亡くなった先祖までが大きな福を得ることができることが説かれています。もともと旧暦であるこの七月十五日という日付をそのまま新暦にあてまているのが七月のお盆で、改暦を受けて月遅れにしているのが八月のお盆ということになります。
「盂蘭盆経」には目連尊者の母が六道の中の餓鬼の世界に堕ちていたことが説かれています。そして現在、浄土真宗以外の多くの宗派では、お盆に施餓鬼会を勤めています。施餓鬼会は、餓鬼の世界の飢えと渇きに苦しんでいる者たちに食物を施す法要です。「盂蘭盆経」の内容からすれば行って当然だろうと思われるかもしれませんが、実は最初からお盆に施餓鬼会が勤められていたわけではりません。元はそれぞれ別の法会であったのが、江戸時代頃に一緒になったといわれています。かなり最近ですね。
一般的なお盆のイメージは「先祖の霊が帰ってくる」というものでしょうか。ところが「盂蘭盆経」には亡き人の幸福のために善いことを行うという追善供養のことは説かれていても、「霊が帰ってくる」というような記述はどこにもありません。実はこの「霊が帰ってくる」という考え方は、「盂蘭盆経」や、その他の仏教の教えに由来するものではなく、日本の民俗信仰に由来するものだといわれています。
最初に述べたように「盂蘭盆経」には、亡き人の幸福のために善いことを行う追善供養が説かれています。これが「盂蘭盆経」の主題であり、現在の一般的なお盆でもやはりそれが中心的な目的となっています。しかし、このようなお盆の考えは、浄土真宗の教えとは合いません。
上に見たように、「盂蘭盆経」以来、多様な要素が重なり合い、混じり合いできあがってきたのが、今日のお盆でした。なにかひとつの「普通のお盆」があるというわけではなかったのです。であるならば、浄土真宗としてお盆を独自に意味付け味わうことも、決して無理矢理ではないはずです。
個人は実は期間限定ではなく、いつもお浄土から還ってきてくださっています。その方々に誘われ、仏前で手を合わせ、日々の生活に追われてご無沙汰しておりました、期間限定になっていたのはむしろ私のほうでしたねと、懐かしい面影を思い出しつつお念仏申す。あるいは目連尊者の故事を聞き、餓鬼にも地獄にもまでも届いて迷いの闇をまっすぐに破ってくださる、阿弥陀さまのお救いをよろこびつつお念仏申す。
もとは浄土真宗の教えと合わないような考え方であっても、お浄土を思い、阿弥陀さまの教えを通して受けとめることによって、お浄土の懐かしいか方をしのびつつ阿弥陀さまのお救いを聞きよろこぶ大切なご縁となっていきます。これが、浄土真宗のお盆の要でありましょう。
2023年
7月
11日
火
まずは、九州北部、山陰地方の大雨で被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。
こちら関東地方では連日の猛暑が続いております。熱中症にお気を付けになり、くれぐれもご自愛ください。
住職が丹精する蓮が開花しました。玄関に近い鉢には、今年は白蓮を見ることが出来ます。午後になると閉じてしまうので、朝、写真に収めました。
お釈迦ささまは「観無量寿経」の終わりに「もし念仏するものがあれば、それは人間の中でも分陀利華(ふんだりけ)である」とおっしゃいました。分陀利華とは白蓮華(びゃくれんげ)のことで、念仏者を「蓮華」といわれたのでした。不条理な出来事や悲しい事件など混沌とした泥沼のような世の中で、煩悩を沢山抱えながら生活しているのが私たちです。お念仏をいただき申す毎日を重ねてゆきたいことです。
2023年
6月
14日
水
梅雨入りし、はっきりしないお天気が続く中、境内には沙羅双樹が咲いております。
沙羅双樹は、仏教の三大聖樹の一つです。
お釈迦さまが入滅されたときに、臥床の四辺にあった4双8本の沙羅の樹が花を咲かせたかと思えば、すぐに枯れて白く変化した様子が、まるで鶴の群れのようであったといわています。
朝に咲いて夕方に落ちる一日花の沙羅の花。
その儚さゆえに平家物語では「盛者必衰の理をあらわす」と記されています。
生かされていることに感謝し、今日一日を大切に過ごしてまいりたいことです。
2023年
5月
28日
日
昨日、お陰さまにて無事永代経法要をお勤めさせていただきました。ご参拝いただきました皆さま、また幕張りや仏旗掲揚などのお手伝いをいただきました役員の皆さまに御礼申し上げます。
コロナが5類になったことを受け、昨年度の永代経法要より出謹していただくご住職を増やし、お勤めの声が大きく響いた法要となりました。ご法話は、群馬組副組長の嵯峨宣正先生、松岡満優先生、松岡晃徳先生から、それぞれにお味い深いお話をいただきました。
昨日は少々暑く感じるほどの良い天候に恵まれましたが、この先は梅雨の先駆けとなるようです。くれぐれもご自愛くださいますよう念じ上げます。
2023年
4月
30日
日
4月最終日となりました。
今年は急ぎ足の春で、桜や藤、ツツジの
花々が例年になく早咲きとなりました。
昨日からのゴールデンウィークは、久しぶりに各地で賑わいのあるものとなるようです。世の中がコロナ以前に戻りつつあるのを感じます。
4月9日のことになりますが、当山婦人会も3年ぶりに日帰り旅行を開催致しました。
初めて築地本願寺の花まつりをお参りさせていただきました。。今年の築地本願寺花まつりは、スリランカ大使館、インド大使館の後援を受けて実施され、新型コロナの行動制限緩和後の初開催とあって15000人が集う賑やかなものでした。姉の夫であるスリランカ駐日大使(E・ロドニー・M・ペレラ)は挨拶で次のように語りました。
「ブッダのメッセージは、アジアにヒューマニズムの波を広げ、何百年もの間、共通の文化と遺産で私たちを結びつけてきた。今日、新しい歴史の最初のページが、平和と繁栄の中で、人間の生命の尊厳を完全に享受するために、ともに開かれることを信じる。」
本日は、寺の役員総会が午後2時より開催されます。
総代さまをはじめ、役員の皆さまには、ご多用の折にご参集をいただき御礼申し上げます。
役員総会を経て5月には、門信徒の皆さま宛てに種々のご案内を発送させていただきます。
何卒よろしくお願い致します。
2023年
3月
27日
月
本日より今月末日まで、門の前が道路工事となります。
これに伴い、車両が境内に駐車できませんので、門外の駐車場をご使用ください。
ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
2023年
3月
19日
日
昨日は、冷たい雨と寒の戻りの彼岸入りでした。
本日からは、また暖かい日が戻ってくるようです。椿や木蓮に続き、ぽつりぽつりとソメイヨシノも開き始め良い季節となりました。
墓参の際には、玄関にて小冊子と築地本願寺煎餅をお配りしておりまので、是非お立ち寄りください。
また、既にご案内させていただいておりますが、21日午後2時より春季彼岸会法要をお勤め致します。こちらもご参拝いただけると幸いに存じます。
浄土真宗の教えは、お聴聞に尽きると言われます。では、お聴聞とはいったい何でしょうか。
お聴聞とは、仏さまの話を聞こうということです。
南無阿弥陀仏というのはどういうことなのか
南無阿弥陀仏を口にし、聞くと、どうして救われるのか
救われるとはどういうことか
そうしたお念仏の話や仏さまの話を聞くことを聴聞と言います。
彼岸にいらっしゃる方々を偲ぶお彼岸が、仏さまのお働きを味わう機縁となりますよう、お待ち申し上げております。
群馬県桐生市にある浄土真宗本願寺派のお寺です。
毎月1日朝6時より朝詣りをお勤めしております。
また毎月第2月曜日は、午後1時30分より仏教讃歌のコーラス(現在は婦人部のみ)活動をしております。
宗門のみ教え、作法、お墓のご相談などお気軽にお問い合わせください。
お墓については、平成25年合祀墓「安楽廟」も完成しております。